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心の乱れは運転にも影響する?煽り運転と「身体拡張」のリアル

心の乱れは運転にも影響する?煽り運転と「身体拡張」のリアル

「たかが運転」と、正直、自分も思っていた時期がある。
免許を取り立ての頃は、信号でちょっと出遅れただけで後ろの車にクラクションを鳴らされたり、道を譲ろうとして逆に怒鳴られたり。
そんな時、胸の奥にぐつぐつとした怒りが湧いてきて、「ふざけるなよ」と思いながら、アクセルを強く踏み込んだことが何度もあった。

でも、後から冷静になって考えると、自分も相手も「車」という巨大な鉄の塊に乗ったことで、普段なら絶対にしないような行動を取っていたことに気づいた。
これこそが「身体拡張」だ。

車に乗ると人は変わる:「身体拡張」の現象

人間は、車に乗ることで、自分の肉体の限界を超えた行動を取れるようになる。
歩いていたら、絶対に誰かにぶつかりにいったり、怒鳴りつけたりしない。
でも、車という巨大な身体を手に入れると、急に態度が大きくなり、攻撃的になる。
これが煽り運転の本質だと、今ははっきり思う。

心の乱れが加速させる暴走

さらに厄介なのは、心の乱れがそれを加速させることだ。
仕事で嫌なことがあった日、プライベートでトラブルを抱えていた日、「なんで俺ばっかり…」とイライラしていると、運転中にちょっと割り込まれただけで、猛烈に腹が立ってしまう。
冷静に考えれば、大したことない場面なのに、まるで自分が侮辱されたかのように感じる。

これは、心が乱れている証拠だ。

実体験:無意識の追跡

自分でも恐ろしかったのは、一度だけ、追い越してきた車に対して無意識に加速して追いかけようとしたことがある。
我に返ってすぐにスピードを落としたけれど、その時思った。
「ああ、これはヤバい。こんなの、事故るわ」と。

煽り運転は「異常な行動」ではない

煽り運転は、ニュースで見ると「異常な人がやるもの」というイメージがあるかもしれない。
でも違う。
心が乱れている時、普通の人でも、その一歩手前まで簡単に行ってしまう。

つまり、煽り運転は「特別な異常行動」ではない。
車に乗ることで身体拡張を得た人間が、心の乱れによって自制心を失った時に、誰でも犯しかねない行動だ。

煽り運転を防ぐためにできること

  • 運転テクニックを磨くよりも、まず心の状態をチェックする
  • 運転前に自分に問いかける:「今、俺、冷静か?」「イライラしてないか?」「誰かに怒りをぶつけたくなってないか?」

たったこれだけでも、意識は変わる。

習慣化の効果

実際、自分はこれを習慣にしてから、運転中に感じるストレスが大幅に減った。
少しくらい割り込まれても、「まぁいいや」と流せるようになったし、急いでいる時でも無理な追い越しをしなくなった。

車は身体拡張、だが心まで拡張されるわけではない

運転するたびに改めて実感する。

「車は身体拡張だ。だけど、心まで大きくなったわけじゃない」

どれだけ馬力のある車に乗ろうが、ハンドルを握っているのは生身の人間だ。
エゴを膨らませたら、結局痛い目を見るのは自分だ。

冷静になればなるほど、煽ってくる他人も「ただのイライラした小さな存在」に見えてくる。
そんなことで自分の貴重な時間とエネルギーを無駄にするのは、バカバカしい。

正直な反省と成長

煽り運転をしてしまった過去の自分を思い出すと、今でも顔から火が出るほど恥ずかしい。
「何やってんだ、俺」と、あの時の自分をぶん殴ってやりたくなる。

でも、だからこそ思う。

煽り運転を「あり得ない」と決めつけて遠ざけるんじゃなく、
誰でもその可能性を持っていると認識し、心を整える努力をするべきだ。

身体拡張によって力を得ても、その力に飲み込まれないこと。
心が乱れても、乱れたままハンドルを握らないこと。

これが、本当の意味での「運転技術」だと、今は胸を張って言える。

運転中に冷静さを保つために意識していること

時間に余裕を持つ

普段の生活態度そのものが問われると実感している。
たとえば、時間に余裕を持つこと。これは地味だがものすごく効く。

ギリギリに家を出ると、どうしても焦りが生まれる。
焦っていると、周囲の車の動き一つ一つに苛立つ。
でも、10分早く出発するだけで、世界の見え方が変わる。

結局、時間の余裕は心の余裕だ。
そして、心の余裕が安全運転を生む。

イライラに飲まれそうになった時の「切り替えスイッチ」

もう一つ、運転中に実践していることがある。
それは、「イライラしたら、あえて楽しいことを考える」ことだ。

怒りという感情は、他のポジティブな感情と同時に存在できない。
だから楽しいことを無理やり考えると、怒りが自然と小さくなる。

自分の場合、特に「うまいラーメン屋のこと」を思い出すと一気に気が抜ける。
「どうせこの渋滞抜けても、ラーメンうまいしな」と思えると、不思議とイライラがどうでもよくなる。

「運転=鍛錬の場」という考え方

さらに最近では、運転そのものを「心を鍛える訓練」だと考えるようになった。

運転中は、思い通りにならないことの連続だ。
でもそこで「今、自分は鍛えられている」と考えると、少しだけ気持ちがラクになる。

試されているのは、技術ではない。心の耐久力だ。

「このイライラに耐えたら、また一歩成長できる」
「冷静さを保ったまま運転できたら、今日の俺は勝ちだ」

そんなふうに考えるだけで、運転中のストレスがずいぶん減った。